こんばんは、さくおりです。
ある日の夜。
バイトから帰ってきた私は、ぐったりと疲れきっていました。
というのも——
- 興奮すると眠れないタイプで、その日は寝不足
- そんな状態で頑張ってバイトに行き
- 外面(そとづら)を作って、笑顔で接客を続けた
……結果、バイトが終わった瞬間に、心も体も限界を迎えました。
📞 甘えたい夜に、電話をかけた
あまりに疲れて、「誰かに甘えたい」と思って、
親友に、そして何人かの友達に電話をかけました。
でも、誰も出られなくて——
その瞬間、自分がひとりぼっちのような気がして、ちょっと絶望しました。
そして時間が経って、
着信に気づいた友達から返信が届く。
それを見た瞬間、私はなぜかこう思ったのです。
「恥ずかしい……」
🤔 なぜ「恥」と感じたのか?
この気持ちをChatGPTに相談してみたら、なるほどと思える答えが返ってきました。
■ 迷惑をかけたと思ってしまう
「夜に電話して迷惑だったかも」「しつこかったかも」
そんな不安が、申し訳なさを通り越して“恥”につながることがあるそうです。
■ 弱さを見せた自分にモヤモヤ
バイトで頑張っていた反動で、甘えたい気持ちが出てきたのに、
「それを見せるのはみっともない」と感じてしまう。
自分の“弱さ”に対する無意識の抵抗。
思い当たる節、たくさんあります。
■ 孤独は、自分がダメだから?
電話がつながらなかった瞬間、
「誰にも頼れない=自分には価値がないのかも」とまで思ってしまった。
でも、それって「孤独=自分の欠陥」と結びつけてしまうクセなんですよね。
■ 恥は、つながりたい気持ちの裏返し
「恥ずかしい」と感じたのは、
本当は誰かに受け止めてほしいと思っていたから。
甘えたいという気持ちは、
決してわがままではなく、人とのつながりを求める自然な感情なのかもしれません。
💭 「甘える=迷惑」と思っていた
ChatGPTに聞かれて、私はこう答えました。
「甘えるって、迷惑なことじゃない?」
でもそれって、きっと——
- 「人に頼るな」と言われてきた経験
- 頼った時に拒絶された記憶
- 常に“頑張ってる自分”でいようとするプレッシャー
こうしたものが染みついて、
「頼ること=悪いこと」と思い込んでいただけなんですよね。
でも、実は——
迷惑だと思っているのは“自分だけ”かもしれない。
友達から見れば、
「頼られる=信頼されている」と感じることだってある。
人間関係は「お互いに迷惑をかけ合いながら深まるもの」。
そう思ったら、少しだけ心が軽くなりました。
🌱 おわりに|“恥”の裏にある優しさ
あの日、私は「恥ずかしい」と感じたけれど、
それはきっと「人とちゃんとつながりたい」という気持ちの証だったんだと思います。
疲れている夜に、誰かを頼りたくなるのは当たり前。
それを“弱さ”と決めつけず、もっと素直に受け止められたらいいな。
今夜もちゃんと寝て、心と体を癒します。
また明日から、ぼちぼちがんばっていきましょう。
ごきげんよう。
コメント